第一印象で影が薄い人と言われて記憶されない人、 なかなか異性との交際が発展しなくて悩んでいるという人がいるな ら、相手の名前を呼ぶように習慣づけると変わってくるかもしれない。 人は心理的に一番耳に心地よい音というのがある。 それは、自分の名前やあだ名、ニックネームだという。 例えば有名な心理学用語にカクテルパーティ効果というのがある。 大勢が会話を交わしてざわめいているパーティの中でも、 自分の興味や関心のある人や話題の事だけ抜き取って耳に聞こえてくるというもの。 自分に必要の無い雑音は無意識のうちに排除し、自分の 好きな物事にだけ耳を傾けられる能力だ。 このよく聞こえる音の中に自分の名前も含まれている。 うるさい街中でも、自分の名前を呼ばれればすぐに耳に入ってそちらを 振り向くことができる能力が人間には自然と備わっている。 さらに、自分の名前を読んでくれるというのは、 気になっていたり、好意を持っている可能性が高い。 恋愛の相手としても意識がしやすくなる。 個人個人の名前は一人一人特別なもので、色々な意味合いもある大切なもの。 それを使用されるのは特別な相手と言う意識を感じさせ、好意に繋がる。 つまり、大部分の人にとって、自分の名前を聞くのは心理的に気持ちよい響きなのだ。
自分を一人称で俺だとかは当然良いのだが、普段やってしまいがちなのが、 相手を「貴方は」「君が」などの少し他人行儀な言い回しをしてしまうことである。 確かにあまり仲の良くない人や嫌いな人に対しては このような呼び名でも良いかもしれないが。仲を深めたい、親密感を高めたいのなら、 ニックネーム(あだ名)、名前のどちらかで呼ぶほうが効果的だ。 確かに一部のフェチの人などは「おまえ」「あんた」などの 呼び方が好きな人もいるかもしれないが、それは 一般的にな法則としては、好き嫌いに別れるので多少危険が伴う。 誰にでも受け入れられるアプローチ法として適切なのは、やはり名前を呼ぶ事。 例えば、初対面のメール友達の男と女が出会い、対面した時に「 ○○ちゃん」「○○君」と名前で呼び合えたらどう思うだろうか、 恐らく、不安や期待で胸が高鳴りつつも、どこか安心感や親近感、一体感を覚えるのではないだろうか。 これがもし、「すいません、あなたですよね」などだったらどうだろう。 どこと無く他人行儀で、心を打ち明けて話してくれないような印象を受けないだろうか。 心理的な距離感が遠く、相性が悪いような気がしてきてしまう。 恋人同士も、あだ名や名前を呼び捨てで呼び合う事が多い。 その事によってお互いが特別な存在である事を確認し合える暗号にもなっている。 君やさんづけよりも呼び捨ての呼び方をするのがカップルである。 気になる好きな異性をデートに誘ったりアプローチする時も同様、 名前を呼ばずにアプローチすると、「誰にでも言ってるんじゃない」という 投げやりな気持ちで無視したくなるが、名前を呼んでアプローチすれば「 私のためにデートに誘ってくれたのかな」と心理的に受け入れて答えたくなるものだ。 モテる男や女になりたいのなら、恥ずかしがらずに相手の名前を呼んでみてはどうだろうか。 人から愛されやすいという成果は、思ったよりも大きなものだと思う。
また、このモテる恋愛心理テクニックはメールの文章においても有効である。 何も名前を呼びかけないメール内容よりも、 多少なりともメールに名前が挿入されている文章の方が親近感が沸く。 特に、女性はメールの文字を見ると、相手が実際に現実で話しかけてくれているかのような 錯覚、体感をしている事が多く。 名前を呼びかけてくれると、メールでも非常に嬉しく感じてしまう。 基本的な心理構造として、男よりも女の方が感受性が豊かなので メールから受け取る感情や情緒の総量は女性の方が多い。 しかし、このメールで名前、ニックネーム(あだ名)を呼ぶテクニックにも欠点が一つある。 それは、あまりに頻繁に使いすぎると、逆効果になり悪い印象を与えるということだ。 何度も、「○○ちゃん、飲み会楽しかったね。○○ちゃん休みの日何してる?」 などと連発されるとどこか気味が悪い感じがしないだろうか。 実際の会話でなら、何度名前を呼ばれても、そこまで違和感を感じないが、 メールでは不思議と重苦しさを感じる。馴れ馴れしいし、 どこか軟派な雰囲気も漂ってくる。 一つのメッセージに、一回名前を呼びかけるぐらいで調度良いのだ。 自分の頭の中で想像してみると、良く理解できると思う。 やはり、人は名前を呼ばれると快感を感じ、好意を持つようにできているのである。 メールを拒否されたり、無視される、返信が来なくて困っている時に、 ちょっと名前を呼びかけてみると相手の気持ちが少しずつ変わってくるかもしれない。 しつこくない程度のフレンドリーな呼びかけは友達や恋愛関係を進展させるのに 効果的だろう。