コンプレックスとは、心理学者のユングによって提唱された概念の精神分析用語で
感情複合や心的複合体という、無意識のイメージが感情を伴って複合している
状態という。例えばエディプスコンプレックスであれば
異性の親に愛情を感じ、無意識的に同性の親を敵視するといったものである。
日本に入ってきた時はアドラーの人格心理学での、
劣等複合という意味で伝わってきて、劣等感としての意味が日本人に浸透して
現在に至る。
人はそれぞれ男も女も、劣等感とも言うべき、欠点やコンプレックスを抱えながら生きている。
三段腹のオデブだとか、背が低く低身長、足短、自分の容姿が嫌い、ホクロの位置が気になる、
声が変、女性として生まれた事、ビジネスが嫌い、性格が悪い、性格が引っ込み思案で内気、学歴コンプレックス、
など個人個人によって重度のものから軽度のものまで多種多様なものが挙げられ、
中にはコンプレックスの塊のような人は、神経過敏になり毎日苦しみもがいている人もいる。
これらのほとんどは容易に克服できるようなものではなく、
人には触れて欲しくないと感じている。いわば弱点や腫れ物のような存在だ。
赤の他人から見れば些細なことであっても本人からすれば
解決が困難な大問題である。
しかし、だからこそそこにうまく漬け込んで利用すれば、
モテる恋愛心理テクニックとして使える。
相手の不安がっている物事をあえて指摘してしまうのだ。
確かにからかうようにその弱点を甚振るというわけではなく、
ごく普通の会話として何の気なしに取り入れてしまう。
そして最終的なフォローとして、私はそんな所気にしてないよ、
それでも別に問題ないんじゃない。
というコンプレックスを解消してしまうかのような錯覚を
起こさせる言動をする。
その言葉は自分の存在や身長、体重、性格、学歴など全て、コンプレックスの塊や欠点も含めて
好きと表明しているという素晴らしい発言である。
もしそんなことを異性に言われたらどうだろう。
お前足短いけど可愛いいじゃん、とか、
極端な例では貴方ちょっとブサイクだけど好きよ、というものだ。
大人の余裕や、包容力で
ウジウジ悩んでいる相手を、全て包み込んで抱きしめてしまうようなイメージである。
これは愛情の理想系で相手がどんなものでも認めるという
最上の愛だ。
こんな言葉をかけられて好きにならない異性はいない。
恋人なるのが難しい時でも、仲の良い友達ぐらいにはなれるだろう。
そこから地道に恋を進展させて熟成して行けばよい。
このように相手の弱点や欠点、悩みや不安を発見した時こそがチャンスで
それは好意を獲得するための手段としては非常に強力な武器となる。
これをマスターすれば、相談を持ちかけられることイコール
惚れさせることができるというモテる男女の方程式の法則が見えてくる。
実際彼氏彼女の恋愛相談をする相手は、次の恋人候補になりやすいのは
このためだ。相手の悩みやコンプレックスを解消してあげることが
できる人はモテるのである。
コンプレックスをバネに頑張るという言葉もあるぐらいで、
人は欠点やリスクがある方が逆にそれがバネとなって
一般的な人より高みに立てることが多いのだ。
お金持ちにイケメンの美男子よりも、チビ、ハゲ、デブ、の三拍子が多いのも
それらの悔しい気持ちが努力のバネとなって成功した結果である。
コンプレックスは諸刃の剣でそれが大きければ大きいほど
どこかに突出した個性という名の強みが出てくるものだ。
また学歴コンプレックスも拗らせている人はかなり厄介で
頭が固くなってしまっている。
中卒や高卒の人は中卒、高卒という劣等感から、
大学卒を嫉妬して貶すような発言や態度をとることが多く手におえない。
大学生に至っては、大学に通っているにも関わらず
東大や早稲田、京大や慶応に行けないことにコンプレックスを感じ、
自分で自分を追い詰めている。
別に東大や早稲田に通学したからといってそれがイコール成功に繋がるわけではなく、
大学にいけても何もしないで怠けている人はただ単位をとって
家と大学、バイトを往復するだけであっという間に四年間は過ぎ去る。
東大や早稲田に通っても社会人としての大人の人間性が育っていない人は、不景気で雇用が減少気味の現代は、ニートや派遣社員になってしまう
人も大勢存在している。
学歴にコンプレックスを感じるのはそのほとんどが幻想であり、
無意味なことである。そんなお勉強よりも
自分にしかできない何かに勝ちを見出すのが人間だろう。
自分の強みを探す、相手の長所を引き出す。それがモテる秘訣でありコツだろう。